2.散歩しながら会話する

いまの私の場合、ただ椅子に座り、人と向かい合ってお茶を飲む、あるいはご飯を食べる、ということができるのは、シラフで2時間が限度です。体がムズムズしてきてしまうのです。

これは、人によるのでしょう。
母は、昼に友人を家に招いて何杯もお茶を飲んで、夕ご飯まで食べさせていました。
私は頑張ったのですが、無理でした。

映画を見たり、音楽を聴いたり、雑誌を読んだり、いちゃついたり、ゲームをしたり、子供と遊びながらであれば別なのですが。

でも、それを可能にするのが、お酒です。
酔っていれば、体のムズムズは紛れます。
でもそのかわりに、時間は次第に刺激が強めの話題を求め、
本当は言うべきではない人の噂話や自分の誇大妄想や過去の暗闇などをつまみに提供してしまいがちです。同じことを何回も言って、聞いて、半分眠っていても、飽きずに時間を過ごせるのはお酒の力です。

しかし、そもそも、シラフの私がしんどいと思うことを続けさせるためにお酒を飲むというのは、自分の中にいるちいさな小学生の自分を痛めているようにも感じます。

そこで、最近良いと思ったのが、散歩です。

私が知っているお酒を飲まない遊び上手な大人はいつも、
ランチを食べる店から食後のお茶を飲む店までの道のりをプロデュースしていました。
季節を感じる素敵な遊歩道を、あえて1駅程度歩いてから二軒めにいくので、
一軒めは近況報告でも、歩きながら、そして二軒めでは、
会話は、たった今受けた新鮮な刺激の共有がメインテーマになり、話題が尽きなくなるのです。

小学生の娘はいつも、友達と公園で待ち合わせをして、いろいろなところを転々として何時間も遊んで、帰ってきます。
同じ家の中で机に向かい合って話しているなんていうことはありません。

大人の場合も、それは同じなのです。