宇宙のランデヴー(アーサー・C・クラーク)

例えば、腸内細菌と私。
すごく隣接しているものが、全く違う社会に生きていて、交わらないということは多々あります。腸内社会では善玉菌を駆逐する悪玉菌の横暴によって大革命が起こっているにもかかわらず、その宿主である私はごく一部の反応によってそれを知る。というような。でもそれでさえ、正露丸やビオフェルミンを飲んで、まるでそんな大革命が起こったことなんて何も意識しないで私の生活は続いていく。何億という善玉菌が死んで、それぞれに仮に意識があり、家族があったとしても。

そんな話なのかな、と思うのです。宇宙と自分というのは。

この本に出てくる人間たちは、隣接する宇宙に確かに存在する超高度な知性に肉薄するのに、その目の前にいる相手は、全く自分を見ていない。その相手にされなさがとてもリアルです。

ランデヴーというのは、男女が時間を決めて会うことにも使われたりしますが、そういう皮肉もこもっているのかな、という気がしてしまいます。決して交わらない宇宙がある一点で接しているという。

昨日、逗子で友人と会う前に、レジャーシートを持って海辺へ行き、そこで30分くらい横たわっていました。地熱を感じながら、自分も地球の材料に溶けてしまって、宇宙のスープの中に溶け込んで、元素単位に散り散りになって、その時に初めて一体になれるのかもしれない、そんな気持ちになって、心の芯が癒されました。