胸騒ぎ

新宿シネマカリテで、ジョンレノンを見たあと、同じく公開中の『胸騒ぎ』(原題はspeak no evil)も、どうしても気になって、見てきました。

賛否両論ありますが、私は見てよかったです。胸糞映画という前評判でしたが、私にとっては見た後も余韻が残って考えさせられる映画でした。

speak no evil とは、悪口を言うな、という意味だそうです。私たちはそう教育されています。「何かこの人変だな」と思っても、そういう人もいる、人のいいところを見ていこう、悪人だなんて思ってはいけないし、口に出してはいけない、そう思うように。ですから、違和感を覚えた自分の方がおかしいのかも、と思って、正常性バイアスがかかってしまうのです。

私が20代の頃、女友達と二人でセブ島に行った時のことです。空港に着くなり、二人組の若い男性に荷物を持って行かれたことがありました。待って!と言いながら追いかけると、笑顔でなんの悪気もなさそうで、怒る気も失せてしまって、結局、彼らの車に乗り、言われるがままに宿に案内されました。私がその時に考えていたのは、彼らに悪意はないはずだ、生活が大変なのだろう、少しくらいぼったくられても仕方ない、怒らせないようにしよう、ということでした。必死につたない英語でニコニコしながら相手の機嫌を損ねないようにやりとりをしていました。実際に何か明確な危害を加えられたわけではありませんが、私たちの旅のイニシアチブはすっかり彼らに奪われてしまっていました。娘のいる今なら、とんでもないことだったと思います。

この映画のおそろしいところは、そんな過去の私よりもずっと自己主張できそうな夫婦(とくに妻の方がはっきりとものを言える)が、取り返しのつかないミスをしてしまうところ。

そして、それは「こちら側」から見れば、何の罪もない家族が不幸になる話なのですが、「あちら側」から見れば、電波の届かない外国の田舎という非力な場所へ自ら出向き、「speak no evil」という平和な都会の慣習によって自ら罪を犯し、罰せられた、とも言えるところだと思います。そして、その罪は私も犯したかもしれないという、薄寒さなのです。