「あちらのお客様からです」
を、人生で初めて体験したのがこのお店です。
バーではありません。
果実店です。
メディアにも多く取り上げられてきたお店ですが、その孤高なたたずまいのせいか、私が行く平日は、いつも、ひっそりとしていました。どこに孤高さを感じるかというと、まず、店がわかりづらいということがあると思います。
篩にかけられてる感じがします。
幡ヶ谷の住宅街のなかでひっそりと、木々に囲まれた一角に、小さな看板。
窓際に等間隔に並んだ小さなサボテンや、入り口にずらっと吊るされたドライフラワーは、まるで、魔よけのようです。
JRの大きな駅近くにあるフルーツパーラーなんかだと、こう、ビキニのおねえさんみたいなパフェがずらーっと並んでるイメージがありますが、こちらは、世俗のだらしなさみたいなものが一切垣間見えません。
凛とした、静かなフルーツの聖域でした。
そんな場所なのに、私は自分の母を連れて行ったことがあります。
そんな場所なのに、と言ったのは、母は世俗の話しかしないからです。
店に着くと、母はテラス席を選びました。
テラス席は良かったと思いました。
たとえここで親戚の愚痴を言われても、青空が浄化してくれて店に影響がなさそうだからです。
店の人が、金属皿にのったちいさな白いタブレットを持ってきてテーブルに置き、そのタブレットに、ビーカーで水を注ぎました。これは、圧縮おしぼりなのですが、すごく儀式めいているので、私は「清潔の儀式」と呼んでいます。
清潔の儀式の後は、母はあまり喋らなくなりました。
かわりに、となりのテラス席にいた、男性客のことをじっと見るようになりました。
30代前半くらいの、メガネをかけたきゃしゃな男性でした。
「男の子がひとりで来ている」ということを、嬉々とした目で私に知らせようとします。
北海道で一人暮らしをしている母にはめずらしかったのかもしれません。
私はその方に申し訳なく、話を逸らしてそちらを向かないようにしていました。
でも、その男性のテーブルが、季節のパフェやらバナナジュースやらフルーツサンドやらでいっぱいになったときには、やっぱり私も母と一緒にガン見せざるを得ませんでした。
もう、ビジュアルのインパクトに、どうしてもあらがえないのです。
詳しくは、お店のホームページやSNSをご覧いただけるとよいと思います。
母は、大きなスマホを取り出してカメラをオンにした状態でじりじりと近づき、
彼に「写真撮っていいですか」と言いました。
彼は、さわやかに、「いいですよ」と言いました。
母は、写真を撮るため、まるで我が物のごとく彼のテーブルの上にあるものの配置をいろいろと変えていましたが、彼はずっとニコニコしていました。
ただ、この素晴らしさをここにいる人と共有したい、という純粋さが伝わってきました。
それで、ひととおり撮影会が終わった後、私たちのテーブルにも注文したものが届けられたので、私たちはしばし食べ始めました。
母は、親戚の悪口を言いませんでした。
そして、しばらくたった後、
「あのう…すみません」
となりの男性が、少し恥ずかしそうに声をかけてきました。
「ぼく、バナナジュースだけ写真を撮るの忘れてしまいまして。よろしければ、先ほど撮影した写真をいただけないでしょうか」
男性のテーブルの上の食器は、全てキレイに空になっていました。
母はケラケラ笑って、スマホ片手に「じゃあ送ろうか?」と、言いましたが、
「あ、いえ、AirDropでシェアしていただければ」
と、彼は言いました。
母のスマホはAndroidですし、意味もわかっていなかったので、
母から転送された写真を、私がAirDropで彼に共有しました。
彼は丁寧にお礼を言って、会計を済ませると、
「さようなら!」と笑顔で私たちに声をかけて店を出て行きました。
母が、
「はじめはオタクっぽいなと思ったけど、いい奴じゃんね」
と言いました。
有名なスイーツブロガーさんかな? とか、それから私たちは彼が何者なのかについていろいろ想像して楽しみました。
そして、私たちのテーブルの会計をするとき。
東京で母と外食するときは私が支払うのが暗黙の了解ですが、伝票を見ると、会計があきらかに安くなっていました。
「あの、これは…」
と、店員さんにたずねると、
「あ、それは、あちらのお客様が」
と、店員さんは、男性客が座っていた席を示しました。
彼は、自分が店を出るとき、私たちが頼んだ中で一番高かった、
マスクメロンのジュースの代金を支払ってくれていたのです。
そして、私がお礼をしようにも、もう彼はいません。連絡先もわかりません。
なんて、清潔なんでしょう!
それから、母と帰る道でも、話はそのことばかりで、やっぱり、親戚の愚痴なんてひとつも出ませんでした。
さわやかな帰り道でした。
残念ながら、このお店は移転してしまいました。